その果てを知らず2020/11/20 01:17

□「その果てを知らず」(眉村 卓 2020)

 堀 晃さんのホームページで紹介されていた眉村 卓さんの遺作、なんとなく気になったので読んでみた。高齢の主人公の入院生活から始まるので、身体能力の日々の劣化を感じている高齢者初心者(入院経験あり)としては、とても共感できた。
 主人公は、最後の小説を病院のベッドで書き綴るSF作家、本作は小説を書く小説家の小説というメタ小説になっている。実際にも作者は、抗がん治療を続けながら病院で遺作となる本作を執筆した。このため、どこまでが「小説」で、どこまでが「闘病日記」なのか、読者も、虚実の境目が朦朧とした、手術前の麻酔に落ちるまたは麻酔から覚める瞬間の、幽冥の境にも似た気持ちにおそわれる。
 筋自体にたいした意味はないと思われるが、死期を覚悟したSF小説家が、パラレルワールドへの輪廻転生と云おうか、生命の再構築と云おうか、ともかく何かの形で死後の世界があるとの思いを受け入れて、明るく(?)旅立っていく話である。
 年寄りの死に方についての話と要約すれば身も蓋もないが、身にはつまされる。
 その旅立ちの心がけが、宗教的な必死なものではなく、そうであったらそれもまた良いであろうというのんびりとしたものなのが、SF作家らしい余裕であろう。
 と言っても、SF的な道具立てはほとんど出て来ないが、後半では、なんの説明もなく瞬間移動(ジョウント)できる人が当たり前に増えてくる。社会も、まるでスマホの普及を語るように、ごく自然にその現象を受け入れていく。それによって何かが大きく変わるわけでもなく、虎も出てこない。そもそもそれが小説の中の現実なのか、主人公の妄想なのかも判然としない。ただそうだろうと思う。
 主人公(作者)の若かりし頃の回想シーンに、日本SF草創期の作家たちが登場する。仮名であるがはっきりわかる形で、星新一、小松左京や筒井康隆、南山宏らとの交流が描かれていて、SF版の「まんが道」としても面白く読めた。
 ところで題名の「その果てを知らず」は、小松左京の「果てしなき流れの果に」への返歌なのだろうか?
 読後、老いて死ぬのもそう悪くないと思わせる本。


眉村 卓


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