成田山ぶたグルメ ― 2013/11/16 23:10
□夜の参道を歩く
夜の成田山の参道を、土産店を冷かしながら歩く。
呉服屋の巨大な猫が迎えてくれる。
異国の人も歩いている。
鶏のいる「ビストロコパン」に入り、気合の入った豚料理を食べる。
豚は、千葉の名産品である。
夜の成田山の参道を、土産店を冷かしながら歩く。
呉服屋の巨大な猫が迎えてくれる。
異国の人も歩いている。
鶏のいる「ビストロコパン」に入り、気合の入った豚料理を食べる。
豚は、千葉の名産品である。
成田山ぽた紀行 ― 2013/11/16 23:00
□古の古墳を見てから成田に向かう
毎年、自分へのご褒美に一泊ぽた旅行をしているのだが、気が付けば、早秋を通り越して初冬の雰囲気、寒いし日も短いのであまり遠くには行かれぬ。
ということで、紅葉祭りの始まった成田山に出かけた。
大堀川から、手賀沼、木下、小林(ラーメンを食べる)と伝い、龍角寺古墳群で古を思って散策してから、成田山に着くと、もう夕方になっていた。
一泊4500円なのに、構えが豪華な「成田山菊水ホテル」で旅装を解いた。
加曾利貝塚 ― 2013/06/01 23:00
□うん千年前の集落跡
貝塚とは平たく言えば、古代のゴミ捨て場とそこを中心にした集落の遺跡である。
貝塚には、貝ばかりでなく、魚や獣の骨も、そして人骨も出てくる。
日本で初めて発掘されたモースの貝塚では、肉をこそげた痕のある人骨が見つかり、人食い縄文人のイメージに、当時の人は大きなショックを覚えた。
加曾利貝塚は、日本で一番大きな貝塚である。僕の家からは、比較的近いのだが、訪ねるのは初めてだ。ここでも、人骨が発掘されているが、幸いに、食い散らかしではなく、丁重に埋葬されたものと見られる。
古代を思わせるうっそうとした森をいただく加曾利貝塚公園には、今も地表に貝層が露出している。小規模だが中身の濃い博物館も設置されていて、ここでは、実験考古学として、市民と縄文土器の再現製作をしている。
貝塚とは平たく言えば、古代のゴミ捨て場とそこを中心にした集落の遺跡である。
貝塚には、貝ばかりでなく、魚や獣の骨も、そして人骨も出てくる。
日本で初めて発掘されたモースの貝塚では、肉をこそげた痕のある人骨が見つかり、人食い縄文人のイメージに、当時の人は大きなショックを覚えた。
加曾利貝塚は、日本で一番大きな貝塚である。僕の家からは、比較的近いのだが、訪ねるのは初めてだ。ここでも、人骨が発掘されているが、幸いに、食い散らかしではなく、丁重に埋葬されたものと見られる。
古代を思わせるうっそうとした森をいただく加曾利貝塚公園には、今も地表に貝層が露出している。小規模だが中身の濃い博物館も設置されていて、ここでは、実験考古学として、市民と縄文土器の再現製作をしている。
「大正の新聞と漫画」展 ― 2013/05/19 23:30
□身につまされる只野君
昨年出来た「杉村楚人冠記念館」に、「大正の新聞と漫画」展を見に行く。
日本版「タンタンの冒険」の感がある「正ちゃんの冒険(織田信恒・樺島勝一)」は、正ちゃん帽の由来らしいが、何故か、犬(タンタンの場合は白犬のスノーウィ)の代わりに巨大(ほぼ人間大)なリスを引き連れて、難事件に挑んでいる。
岡本太郎の父親の岡本一平の風刺漫画も陳列されているが、印象に残るのは、作者不詳の「只野君の失業」。
リストラされたサラリーマンを描くこの漫画の哀歓は、今でも十分に通用するぜ。
昨年出来た「杉村楚人冠記念館」に、「大正の新聞と漫画」展を見に行く。
日本版「タンタンの冒険」の感がある「正ちゃんの冒険(織田信恒・樺島勝一)」は、正ちゃん帽の由来らしいが、何故か、犬(タンタンの場合は白犬のスノーウィ)の代わりに巨大(ほぼ人間大)なリスを引き連れて、難事件に挑んでいる。
岡本太郎の父親の岡本一平の風刺漫画も陳列されているが、印象に残るのは、作者不詳の「只野君の失業」。
リストラされたサラリーマンを描くこの漫画の哀歓は、今でも十分に通用するぜ。
里見公園 ― 2013/05/18 23:18
□薔薇園と古墳
帰りに「里見公園」に寄ると、薔薇が満開だった。
実は、この公園の中には、「明戸古墳」という立派な前方後円墳があり、石棺が拝めるのだった。
帰りに「里見公園」に寄ると、薔薇が満開だった。
実は、この公園の中には、「明戸古墳」という立派な前方後円墳があり、石棺が拝めるのだった。
国府台遺跡ポタ ― 2013/05/05 23:22
□ご近所古墳巡りもまた楽し
今日は、どこをポタリングしてやろうかと松戸辺りの地図を見ていたら、「堀之内貝塚公園」というのが目に付いたので、そこに行ってみると、隣接して立派な考古学博物館があったので、ついでに入ってみる。
貝塚の遺物や、国府台古墳群のパネルが展示されていて、それによると、「明戸古墳」、「法皇塚古墳」、「弘法寺古墳」の3つの古墳がご近所にあると書いてある。
明戸古墳というのは里美公園内の石棺のことで、これは既に見ていたので、法皇塚と弘法寺、この二つの古墳を、芸員の方が大変親切に教えてくれた道に沿ってちゃりちゃりと見て回った。どちらも、地方の風情があって良い古墳だった。
なお、今回は行かなかったが、明戸古墳は、「あけど古墳」と読み、「めいど(冥土)古墳とは読まないそうだ。
今日は、どこをポタリングしてやろうかと松戸辺りの地図を見ていたら、「堀之内貝塚公園」というのが目に付いたので、そこに行ってみると、隣接して立派な考古学博物館があったので、ついでに入ってみる。
貝塚の遺物や、国府台古墳群のパネルが展示されていて、それによると、「明戸古墳」、「法皇塚古墳」、「弘法寺古墳」の3つの古墳がご近所にあると書いてある。
明戸古墳というのは里美公園内の石棺のことで、これは既に見ていたので、法皇塚と弘法寺、この二つの古墳を、芸員の方が大変親切に教えてくれた道に沿ってちゃりちゃりと見て回った。どちらも、地方の風情があって良い古墳だった。
なお、今回は行かなかったが、明戸古墳は、「あけど古墳」と読み、「めいど(冥土)古墳とは読まないそうだ。
堀之内貝塚公園
市川考古博物館
国府台古墳群
法皇塚古墳(東京医科歯科大構内)
弘法寺古墳
GW福島紀行(桜井古墳) ― 2013/05/03 23:00
■GW 5/3
□立派な前方後方墳に驚く
裏磐梯を後に、東に山越えをして海岸を望む「桜井古墳」を見学した。
大和の前方後円墳に対して、北方では前方後方墳が多いというのは、流山市立博物館で開かれた「前方後方墳と方墳」展で教わったが、こんなに大きくて豪壮なものがあるとは驚いた。
前方後方墳は、中央の大和ブランド前方後円墳に比べ、格下の亜種位に思っていたが、いやはやそんなことはなく、これはもう立派な対抗ブランドである。
□立派な前方後方墳に驚く
裏磐梯を後に、東に山越えをして海岸を望む「桜井古墳」を見学した。
大和の前方後円墳に対して、北方では前方後方墳が多いというのは、流山市立博物館で開かれた「前方後方墳と方墳」展で教わったが、こんなに大きくて豪壮なものがあるとは驚いた。
前方後方墳は、中央の大和ブランド前方後円墳に比べ、格下の亜種位に思っていたが、いやはやそんなことはなく、これはもう立派な対抗ブランドである。
虎塚古墳公開 ― 2013/03/31 23:00
□1400年前の彩色壁画に感激
大洗で海の幸を満喫した翌日は、装飾古墳として名高い「虎塚古墳」の年2回の一般公開を見学した。
実は、僕にとっては、これが今回の小旅行の目的だったのだ。
古墳の内部に入り、ガラス越しではあったが、面前で対峙できた1400年前の画伯の作品は、ベンガラの色もあざやかに、実物のみが持つ迫力と時を超えた感動があった。学芸員の要を得た解説もとても良かった。
しかし、ツレアイは、土中のかび臭さを嫌い、高松塚古墳の壁画に比べて、洗練さに欠けるなどと失礼な感想をもらすのであった。
大洗で海の幸を満喫した翌日は、装飾古墳として名高い「虎塚古墳」の年2回の一般公開を見学した。
実は、僕にとっては、これが今回の小旅行の目的だったのだ。
古墳の内部に入り、ガラス越しではあったが、面前で対峙できた1400年前の画伯の作品は、ベンガラの色もあざやかに、実物のみが持つ迫力と時を超えた感動があった。学芸員の要を得た解説もとても良かった。
しかし、ツレアイは、土中のかび臭さを嫌い、高松塚古墳の壁画に比べて、洗練さに欠けるなどと失礼な感想をもらすのであった。
清水公園ポタ ― 2013/02/10 23:27
□梅の花みっけ。
江戸川をちゃりちゃりと、春を見つけに清水公園に行った。
梅林のつぼみは未だ固くて、ようやく紅白2輪の花の開いたのを見っけた。
通路の入り口に、さりげなく「玉子石」と彫ってある石が転がっていた。
きっと由緒ある江戸時代からの石なんだろう。
上を見て木に鳥を探したが見つからなかった。
下を見たらマンホールの蓋の中にいた。
江戸川をちゃりちゃりと、春を見つけに清水公園に行った。
梅林のつぼみは未だ固くて、ようやく紅白2輪の花の開いたのを見っけた。
通路の入り口に、さりげなく「玉子石」と彫ってある石が転がっていた。
きっと由緒ある江戸時代からの石なんだろう。
上を見て木に鳥を探したが見つからなかった。
下を見たらマンホールの蓋の中にいた。
流山ポタ初め ― 2013/01/20 19:45
□富士?雪中登山を敢行す
折角、流山まで来たので、前ヶ崎城跡に上ると、殿様の霊が降りてきた(ような気がした)。そこで、城主の務めとして、民草の生活を思い、我が治世を褒め称える鳥と戯れ、大注連縄で有名な赤城神社に詣でて、世界平和を祈願した。
最後は、浅間神社に参詣して、未だ雪の残る富士山(もとい富士塚)に、遭難の危険を顧みず、皆を代表して登頂するのであった。
折角、流山まで来たので、前ヶ崎城跡に上ると、殿様の霊が降りてきた(ような気がした)。そこで、城主の務めとして、民草の生活を思い、我が治世を褒め称える鳥と戯れ、大注連縄で有名な赤城神社に詣でて、世界平和を祈願した。
最後は、浅間神社に参詣して、未だ雪の残る富士山(もとい富士塚)に、遭難の危険を顧みず、皆を代表して登頂するのであった。
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