美しい星の上のサイン2018/09/12 19:24

□われらの文学(第5巻 三島由紀夫)(編 大江健三郎・江藤 淳 1966)

 三島由紀夫の書いたSF「美しい星」を読みたいと思って、かなり前から本屋や図書館を探し、古本屋まで覗いたのだけれど、なかなか見つからなかった。そもそも三島由紀夫の著作そのものが、店頭や図書館からほとんど消えていた。今簡単に見つかるのは「金閣寺(1956)」くらいのものだろう。ノーベル賞候補と目された大作家でも、既に化石化して読まれなくなっているのだ。そういえば、SF界の巨人、小松左京の本も少なくなっていた。
 文学もどんどん風化するのだ、恐ろしいことだ。
 結局、図書館のコンピュータで検索して「われらの文学(Contemporary Literature)」という、これまた今やお目にかかれなくなった文学全集というスタイルの、三島由紀夫の巻に収録されているのを見つけ出し、開架ではなく倉庫のような所から出してもらって、ようやく読むことが出来た。
 この文学全集、編者が大江健三郎と江藤 淳であるが、よくも大江健三郎が三島由紀夫を、われらの時代を代表する者として選んだと思うと、何か可笑しい。
 さて、肝心の「美しい星(1962)」であるが、ネタバレで書くが、ある日突然、自分達が宇宙人だと覚醒した(外見は普通の日本人の)上流インテリ一家が世界を核戦争から救うために、純粋の善意で活動するが、世俗にまみれた(これも普通の人間にしか見えない)邪悪な異星人に阻まれ、最後には宇宙船に乗って美しい星を目指すという、竹取物語のような物語である。家族の美貌の娘にいたっては、金星人の色男にだまされ、妊娠させられて捨てられるのである。嗚呼可哀想なのである。
 自分を宇宙人と思い込んだ人間を主人公にした小説としては、ほぼ同時代に、安部公房の「人間そっくり(1966)」があり、アイデアは似ているが、安部のは、延々と続くモノローグが読者を論理の迷宮につれこむ思弁小説なので、読後感は全然違う。
 対して、三島は、絶対的な美への憧れを主人公に仮託しており、そういう意味では、「金閣寺」と同じ構造であるので、安部ほどSFではない。
 で、われらが主人公の宇宙人一家が夢にまで見た宇宙船がついに現前する所で、小説は大団円を迎えるのであるが、果たしてこの宇宙船は現実なのか、一家が観た集団幻想なのか、タイトルの「美しい星」とは何か、すべては謎のままで放り出される。はっきりしているのは、理想主義が現実主義に敗北したことである。
 本作は、擬古文的な美文で綴られる動きのない大長編であるので、短気な人には勧めにくいが、早世した巨匠の唯一のSFであるので、探し出して読むべし!
 なお、借りだした本の見返しには、Yukio Mishimaなるローマ字のサインが入っていた。図書館の人に調べてもらったら、本は寄贈されたものであったので、ひょっとしたらこのサインは本物かもしれない。そうすると、柏図書館は、お宝探偵団に出品できる蔵書を持っていることになる。
 インターネット上で見つかる三島由紀夫のサイン画像と比べてみた。少し違うような気もするが、真偽は判然としない。
 

三島由紀夫
三島由紀夫サイン?


新サンマ2018/09/12 23:08

□秋の刀魚を食べる

 新サンマの焼いたのを買ってきて食べる。
 美味し。


新サンマ