3.11以降の文学2018/04/10 15:26

□ボラード病(吉村萬壱 2014)

 米国民にとって、テロによる9.11WTCB崩壊が決して忘れられない悪夢であるのと同様に、日本人にとって、3.11大震災とそれに引き続く原子力災害は、生涯忘れることのできない「ありえない現実」となった。
 当然、それは文学、特に小説にも大きな影響を与えると思われるが、大災害が与えたトラウマが文学的に昇華されるまでにはそれなりの時間が必要であり、オウムサリン事件に反応して「1Q84」を書いた村上春樹をはじめ多くの作家達も、まだ、このあまりにも大きくあまりにもデリケートな主題を扱いかねているようだ。
 そんな中で、本書「ボラード病」は、震災後3年というかなり早い時期に、3.11に面と向かって対峙した小説と言える。大災害後の避難生活から戻った住民が不気味なディストピア建設に邁進する「海塚」という架空の町は、明らかに福島の避難指示区域を想起させ、絆が強制され安全と健康がことさら強調される町の様が、その後の日本のメタファーであることを隠そうとしない。
 小説としての出来や完成度は、僕には評価できないが、未だ生の素材を扱うことによる批判を覚悟した著者の勇気と覚悟は評価すべきと思う。
 ここには分かり易い悪の帝王はいない、全体主義社会が仄めかされるが、独裁者は不在のようだ。失った平成を取り戻そうとする人々の「なかったことにしよう」という暗黙の合意形成がただ恐ろしいのである。
 ボラード病に特効薬はない、僕もあなたも保菌者?


ボラード病


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