サムライ洋食事始2017/11/15 00:46

□拙者は食えん!(熊田忠雄)

 ペリーの黒船で開国した幕末日本は、通商条約の調印をするための幕府の代表団の渡米、渡欧を皮切りに、海外技術・情報の収集、さらには留学のために、諸藩も含めて多くの日本人を海外に送り出した。
 幕末期の8年間に渡航したサムライの総数は約400名、ろくに辞書もなかったような時代を考えると結構な大人数である。外国の、あるいは、大枚をはたいて買ったばかりの蒸気船に乗って、何か月もの航海の末にようやく異国の港にたどり着くのだ、今どきのビジネスマンのジェットの旅とは桁違いに大変な海外出張である。ちょんまげ付けてエジプトのピラミッドも観たのである、偉いのである。
 そして、ようやく彼の地に降り立ったサムライ・デレゲーションに、さらなる試練が襲い掛かる、米と醤油に慣れた日本人には食べれるものがないのである。
 嗅いだこともないバターや獣肉(牛肉)の臭さに辟易し、日本から持参した味噌(実は赤道を超える間に腐った)は逆に臭いと捨てさせられ、ホテルのコックから生魚を分けてもらって中華街で買った醤油をかけて飢えをしのぎ、故郷を偲んだらしい。
 そんな彼らも、結局は慣れざるを得ず、最後には、洋食も結構美味いとなるのだが、シャンパンとアイスクリームだけは、最初からお気に入りだったことがおかしい。


和朝食
             サムライが食べたかったもの(イメージ写真)


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